少年の豊かな四季(56) - 環境と遺伝

  (56)黒砂糖づくり

 師走(しわす)はじめの日曜日、ひよったんがリュウちゃんの家に遊びに行くと、坪庭に多くの人たちが集まっており、その中で赤牛が何やら引いてぐるぐる回っていた。

「何ばしよッと?」

 ひよったんが尋ねると、リュウちゃんは、

「黒砂糖ば作りよると」と答えた。

「あの甘か黒砂糖ができると?」

 ひよったんは信じられなかった。砂糖壺(さとうつぼ)に入れてある黒褐色の固まりのようなものが、そんなにたやすく作れるものだろうか。

「どろどろしとるばって、黒砂糖には間違いなかよ。サトウキビを搾(しぼ)った汁(しゆる)ば煮詰めるだけ。あとで見ればわかる」

 目の前にサトウキビが山のように積まれている。おとなの背丈よりも長い茎の直径は四、五センチで、およそ十五センチおきに節がある。

「もっと前に出て見んね」

 リュウちゃんは、ひよったんを無理やり人垣の間から前へ押し出した。

 サトウキビを搾る圧搾機(あっさくき)の大きな二個のローラーは、圧搾機から突き出た長い丸太の先に結わえられた綱を牛が引くことで回転する仕掛けになっているようである。

 牛が圧搾機の周りを同じ向きにぐるぐる回り、回転する二個のローラーの間に、男たちたちがサトウキビを数本ずつ挟み込むと、下に据えた桶(おけ)に青黒い汁が流れ落ち、見る見る溜まっていく。

 一年前の夏、家事見習いのミヨ子さんから、鹿児島土産にもらったサトウキビの皮で、ひよったんは右手の中指に大ケガをしたことがあり、サトウキビの刃物のような皮は今でも怖いが、搾りたての青汁は飲んでみたい気がした。

 搾り汁が桶に七、八分ほど溜まると、桶の紐(ひも)に天秤棒を通して、二人の男が両端を担いで、リュウちゃんのおじさんが住んでいる北側の小屋へ運んで行った。

「早よ来(こ)んね」

 リュウちゃんに促されて、ひよったんも揺れる桶の後に付いて行くと、小屋の中ではおじさんが待っていた。

 大きな釜(かま)の上に、五右衛門風呂を平らにしたような大鍋が二つ掛けられており、その一つには搾り汁がすでに半分近く入っている。

 搾り汁を運んで来た男たちが、桶の中身を大鍋に移して出て行くと、おじさんは釜の下に火を付けた。

「ヒロッしゃんに搾り汁ば少し飲ませてよかね」

 リュウちゃんはおじさんに声を掛けると、返事も待たずに、長い柄のついた竹柄杓(たけびしやく)で鍋から搾り汁を少し掬って、ひよったんの前に差し出した。

「さあ、飲んでみんね」

 ひよったんがひと口飲むと、青臭(あおぐさ)い匂いが鼻腔(びこう)を突き、甘い液体が口内に広がった。

「うまかろが」

 リュウちゃんは、ひよったんから竹柄杓を受け取ると、喉(のど)が渇(かわ)いた犬みたいにがぶがぶ飲んだ。ひよったんも遠慮せずにもっと飲めばよかったと思った。

 昼ご飯を食べに家に帰り、ウサギの餌をやったり柿畑へお八つを持って行ったりして、リュウちゃんの家の坪庭に戻ると、あたりはもう薄暗くなっていた。

「またあした来るね」

 ひよったんが坪庭を離れようとすると、

「もうそろそろ煮詰まっとるかも知れんから、小屋にちょっと見に行ってみようか」と、リュウちゃんが引き留めた。

 小屋の中は昼前と違って、甘いカルメラ焼きのような匂いが立ち込めていた。

 湯気が立ち昇る鍋をのぞくと、搾り汁はどろどろした褐色に変じ、三分の一ほどに減っいる。

「ヒロッしゃんは一度もなめたことがないみたいだから、ちょっとだけ……」

 リュウちゃんがおじさんの顔を見ると、おじさんはかき混ぜていた竹柄杓に少しだけ掬って茶碗に流し込み、

「まだ熱かぞ」と言って、リュウちゃんの前に置いた。

 リュウちゃんは茶碗に人差し指を突っ込むと、

「あッちち!」と叫びながらなめた。

 ひよったんもどろどろしたものを指先に付けてなめてみると、これまで味わったことのないような濃厚な甘さだった。

「甘か、甘すぎるごたる」

 それでもひよったんは、リュウちゃんと交互に茶碗に指先を突っ込んだ。 

 翌日の夕方、ひよったんの家に、黒褐色のどろどろした黒砂糖が七分ほど入ったステンレス製の大型バケツが三つも運び込まれ、台所の低い棚に並べられた。

 母がスプーンで掬ってくれたが、甘さが強すぎて、ひよったんはスプーン一杯がなめ切れなかった。