『帰郷』2

<『帰郷』2>

図書館で『帰郷』という本を、手にしたのです。

おお 浅田さんの新しい短篇集となれば、読むっきゃないで♪

・・・と借りたわけでおます。

【帰郷】

浅田次郎著、集英社、2016年刊

<「BOOK」データベース>より

二度と戻れぬ、遠きふるさと。戦争によって引き裂かれた、男たちの運命とは。名もなき人々の矜持ある生を描く小説集。

【目次】

歸郷/鉄の沈黙/夜の遊園地/不寝番/金鵄のもとに/無言歌

<読む前の大使寸評>

おお 浅田さんの新しい短篇集となれば、読むっきゃないで♪

・・・と借りたわけでおます。

rakuten帰郷

戦時中の兵站を、見てみましょう。

p53〜55

<鉄の沈黙>

 月明の海峡を渡って、木製の大発艇が岬にたどり着いたのは奇蹟だった。

 岩場を避けて艇を操りながら、船舶工兵は岸に向かって呼んだ。

 ?高射砲、高射砲、ツルブからの弾薬輸送。誰かいるかァ?

 あの世への道連れになるはずだった船舶工兵の声を聞くのは初めてである。よほど無口な男なのか、声も出せぬほど緊張し通しであったのか、清田吾市がいくら話しかけても、舵輪を握ったまま答えなかった。

 ?ここにまちがいないのですか?

 清田は闇に目をこらしながら訊ねた。

 ?ああ。ほれ、そこの突端に吸い口のような岩が飛び出とるだろう。胴がくびれていて、瓢箪に見えるから瓢箪岬だ。歩哨を立てとらんのかな。それともみんなやられちまたか?

 初めて船舶工兵と言葉をかわして、清田は人ごこちついた。

 それにしても、岬と呼ぶにはいささか大げさな岩場である。ニューブリテン島のツルブからダンピール海峡を越え、海図も読まず磁石も使わずに、ニューギニアのこんなちっぽけな岬にぴたりと接岸するのは、任務とはいえたいしたものだと思う。しかも途中では敵の魚雷艇に二度も出くわし、エンジンを止め息を殺してやり過ごした。そのつど大発は海流に押し流されていたはずである。

 岬をめぐると粗い砂浜の入江があって、二人の兵が手を振っていた。

 ?よおし。命を棒に振らんですんだ?

 大発は揚陸用の平らな船首を砂浜に向けた。

 ?ところで、貴様はツルブに戻るのか、戻らんのか?

 清田は答えあぐねた。砲兵段列からの命令は、八八式七センチ野戦高射砲の修理である。しかし大発を操る船舶工兵の任務は、その修理係と弾薬とを前線の砲兵陣地に送り届けることだった。修理をおえたあとどうせよという命令を、清田は受けていない。

 ?おまえのような補充兵に、決心せいというのも酷だがな?

 船舶工兵は歴戦の髭面をしかめて笑った。

 ?決心せよ、とはどういうことですか?

 ?イチかバチかで、俺と一緒にもういっぺんダンピールを渡るというのなら、明日の晩まで待ってやる。陣地に残るのなら、砲の修繕に手間がかかるということでよかろう。もっとも、ここに残ったところでどうなるかわからんが?

 

 船底が砂を擦って、大発艇は浜にのし上がった。その確かな陸の感触が、清田に決心をさせた。

 ?自分は泳げませんので、できればここに残りたくあります?

 海で死ぬか陸で死ぬかと訊かれたようなものであった。敵の高速魚雷艇を、息をつめてやり過ごす恐怖は二度と味わいたくなかったし、その恐怖が帰路も恐怖だけで終わるとは思えなかった。

この本も浅田次郎の世界R15に収めるものとします。

『帰郷』1