映画の感想文 [1181] ダウンサイズ
【ダウンサイズ】
原題:Downsizing
製作国:米国
製作年:2017年
日本公開:2018年3月
監督:Alexander Payne(アレクサンダー・ペイン)
出演:Matt Damon(マット・デイモン), Hong Chau(ホン・チャウ), Christoph Waltz(クリストフ・ヴァルツ), Udo Kier(ウド・キア)
===== あらすじ(途中まで) =====
ノルウェーの科学者が人間のサイズを14分の1まで小さくする方法を発見した。人口増加に伴う環境問題を解決するため、人間の縮小は奨励され、また自分が持つ財産の価値が何倍にも増し、これまでよりはるかに裕福な生活を送れることから、次々と希望者が現れるようになった。
オクラホマに住む理学療法士のポールとオードーリーの夫妻も、ダウンサイズを決意した。しかし施術直前になって妻は逃げ出し、結局、ポールだけが小さくなった人間のコミュニティで生きることになった。
ポールが暮らし始めたマンションの上の階に、ミルコヴィッチという男が住んでいた。毎晩のように大勢の人を呼んでパーティーを開き、ポールも誘われた。
ある朝、ミルコヴィッチの部屋の掃除に来た清掃員の中に、見知った顔がいた。かつて東南アジアの独裁政権によって強制的にダウンサイズされ、米国へ逃げ出した女性のノク・ラン・トランだ。彼女の片足は義足で、しかも調子が悪いようだった。ポールは義足を直してあげると申し出て、彼女の家に同行した。
バスに乗り、郊外へ出て、さらに歩いた先にあったのは、これまでポールが知らなかったスラムのようなエリアだった。
===== 感想 =====
● 世界の縮図
小さくなれば、自分の保有する資産の価値は倍増し、優雅な生活を送れるはず。
ところが元々財産の無い者がダウンサイズしても、何も状況は変わらない。でも、新しい世界での成功を夢見てダウンサイズする人が大勢いるみたい。
あるいは、ダウンサイズの施術が失敗して働き手を失った家族や、こちらの世界へ来てから貧困に落ちてしまう者もいる。
結局、ダウンサイズの世界も格差社会となり、貧困層が住むスラムのような街区が形成される。
まさに世界の縮図が再現されただけのこと。
しかもまずいことに、ダウンサイズだけでは地球環境の破壊は止まらないらしく、壊滅的事態に備えて地下シェルターなどに長期間逃げ込むことが必要らしい。
ダウンサイズって意味ないじゃん!
という具合に、この映画は、ある意味、絶望的終末観をベースとした、悲しいお話なのだ。
● 人情
こういう悲しい世の中では、人の心の温かさが身にしみることになる。
ポールは元々心の優しい人間で、医者になるより理学療法士の道を選んだ。スラムでホームレスや身寄りのない病人の世話をするノク・ラン・トランの姿を見て、やがて自分もそうした活動に協力するようになっていく。
体は小さくなっても、心は小さくならないということだな。
こうした話だけを前面に押し出せば、この映画は岩波ホールあたりでもっとうけたかも。
ところが、ちょっと妙な登場人物が周りにいる。
● 商売
まずは、マンションの住人ミルコヴィッチとその仲間のコンラッド。
毎晩、彼の部屋に怪しい連中が大勢押し掛けて、深夜まで騒々しいパーティーを開いてる。
彼の仕事は商売。といっても、違法な薬物や品物の取引、あるいは運び屋などをやってるらしい。ダウンサイズした社会にも、闇や裏の側面があるということだな。
ところが、この二人、意外と人はいい。粗暴なところはないし、無茶なことは言わないし、パーティーが騒々しい以外は自分勝手でもない。むしろ、ポールとノク・ラン・トランの関係に気を使ってくれるほど。
そして、環境破壊を信じる妙な団体から妙な荷物を船で北欧まで運ぶように頼まれた時も、快く引き受けている。とはいうものの、その団体が示す環境破壊の予測など、ずっと未来のことさと笑い飛ばしてしまう。
ものすごくリアリストな商売人なのだ。
● 希望
一方、この団体というのも、どうにも妙だ。
構成員の多くは科学者などのインテリで、科学的に地球環境は壊滅するという予測を信じ、巨大な地下シェルターに移住し、そこで何年どころか、何世代もこもり続けて、環境破壊を生き抜こうという計画を実行する。現代のノアの箱舟ということだな。
彼らがその後どういう運命になるのか、この映画では何も示さない。だけど、この科学者たちがダウンサイズという、格差社会のミニ版を作ったわけで、それを放置して地下深くにこもったところで、そこでまた結局は格差社会のさらにミニチュア版が形成されるだけのことではないかな。
彼らにとって大事なのは自分たちの未来の希望ということだが(自分たち以外の他人の未来など知ったこっちゃないが)、現在を生きることこそに価値を認める商売人ミルコヴィッチに笑い飛ばされ、現在の社会の底辺に取り残された人たちを助けることに人生の価値を見出すポールとノク・ラン・トランは、彼らに別れを告げる。
地底を目指すのではなく、社会の底辺にこそ目を向けるべきということだな。
● 素朴
ポール役のマット・デイモンとノク・ラン・トラン役のホン・チャウが、無欲で素朴な心温かい人を素直に演じてる。
クリストフ・ヴァルツが、ちょっと知的なリアリストで義理堅そうな闇商人のミルコヴィッチをきりっと演じ、ウド・キアがちょっと正体不明だけど気が利く相棒のコンラッドを不気味に演じてる。二人とも、渋いっす。
● 良品
北欧には、自分が困窮するほど私財を投げ打って慈善事業に手を差し伸べる人もいるそうだ。映画好きなら、欧米には、貧しい国の子供や重い障害を持つ子供を何人も養子にする俳優もいることくらいは知ってるよね。
最近の日本は、子作り・子育てすら拒否して(*1)、自分の時間・自分の人生を好き勝手に生きたいという考えが称賛される傾向みたい。
そんな日本で、こういう心の温かさが大事な映画は、無理だな。
(*1) 身体的理由で子作りできない人のことではなく、自分の自由な時間が減るとか、自分の遊ぶ金が減るなどの理由で、でもそうしたエゴをいかにもいまどきの意識高い風のタームで迷彩を施して屁理屈こねて、自分の意志で、子育てをしようとしない人たちのことだよ。
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